12/31
「ドンドンドン!」戸をたたく音が急に聞こえて、襲撃されたかと軽くパニックに陥る。
そうだ、今日は早目の5時にモーニングノックだった!
寝ぼけながらドアを開けると、いつものジェフとアリがお湯を持ってきてくれていた。あー、この生活も今日が最後か…。寂しい…。
朝食ではK戸さんが用意してくれていたしゃぶしゃぶもちとお吸い物で即席雑煮。一日早いお正月だ。
みんなで記念撮影をし、7時過ぎにホロンボハットを出発。
昨日、熟睡出来たのと標高が下がったのとで、めちゃめちゃ快調!平地に居る時より体調がいい!!下りは全く「ポレポレ」でなく、むしろ「ハラカハラカ(早く早く)」で下って行く。
今日はデイビスとおしゃべり。スワヒリ語の復習やタンザニアの主食・ウガリの作り方など、色々教えてもらいながら下る。ほんとにデイビスは物知りで賢いなー。
デイビスには、毎日のように「strong woman」と言われ続けた…。
「私が強いんじゃなくて、みんなのサポートのおかげだよ」と言うと、9割が私の力で、サポートは1割だけだって。うまいこと言うんだからー。
今日は大みそか。デイビスの来年(2015年)の目標は、「結婚」だって!
「今晩、年越しと同時にプロポーズすればー?」とけしかけると、「リング買う時間あるかなー、どうしよーかなー」と悩んでいた。(その後、もらったメールによると、まだしてないらしい…。)
そんな中、とってもいい話を聞いた。タンザニアにはネレレという、デイビス曰く「super president」が居たらしい。
ネレレは話し合いでタンザニアの独立を勝ち取り、1961年にたいまつを持ってキリマンジャロに登ったんだと。
それまで植民地で暗い世界だったアフリカを明かりで照らすという意味だったらしい。
で、頂上で「ウフル(自由)」と叫び、それまで英語の名前が付いていたピークがこれをきっかけに「ウフルピーク」という名前に変わったとのこと。
キリマンジャロはアフリカ独立の証でもあるんだね。
さようならー、キリマンジャロ!
今日は登りのときと違い、たくさん水を飲まなくていいので、トイレ行く必要がピタリと無くなる。体って正直だわ…。
気付くと、どんどん標高が下がり、気温も上がってきた。景色もサバンナからジャングルへとみるみる変わり、キボとマウェンジが見えなくなる。
あー、こうやって歩くのも今日が最後かーと寂しくなる…。マンダラハットで一度休憩して、ジャングル地帯を下る。
ここではナセルとおしゃべり。ナセルはガイド歴2年の若手で、日本語を勉強中。
ネットでNHKラジオを聞いているらしい。動物についても詳しくて、色々教えてくれる。みんな勉強熱心だなー。
そして12時半、登山口のゲートの到着。無事戻ってきた安心感と登頂できた達成感、そして去りがたい気持ちが入り混じって、複雑な気分…。
無事ゲートに到着。左からガイドの
レミー、デイビス、ナセルと。
今日もポーター達は先回りして、ランチの用意をしてくれていた。さらに今日はお祝いのキリマンジャロビールが!!
冷蔵庫に入りきらないらしく、K戸さんがバケツの水で冷やしてくれている。
早く飲みたいとこだが、数名遅れている人がいたので、ガイドやポーターと記念撮影したり、キリマンジャロの模型を使ったデイビス先生のレクチャーを受けたりして、時間を潰す。
キリマンジャロはシラ峰、マウェンジ峰、キボ峰の3つから成るが、シラとマウェンジが最初に出来て、最後にキボが噴火で発生して3つが繋がり、広大なキリマンジャロが完成したとのこと。
シラとマウェンジは死火山だが、キボは休火山らしい。こんなんが噴火したら、えらいこっちゃ。
キリマンジャロ模型 赤線が歩いた道。●がキボハット、▲がウフルピーク(あくまでイメージ…)
優しいポーター・ジェフ
寡黙なポーター・アリ
みんな揃ったところで、キリマンジャロビールで乾杯!6日ぶりのビールだー!
ランチには、さっきデイビスが作り方を教えてくれたタンザニアの伝統料理・ウガリが出た。
コーンの粉をお湯で練って蒸かしたもので、甘くない蒸しパンみたい。
普通に美味しい。コーンと聞いたので黄色いのを想像していたが、コーンの種類が日本とは違うのか、白かった。
昼食後、ガイドやポーター達が歌を歌ってくれる。道中で歌ってくれた歌のメドレーに、今までの思い出がよみがえる…。
歌ってくれと言われて歌わされているんだろうが、歌っているうちに盛り上がるのか次第にヒートアップしていく。さすが陽気なアフリカン!
最後はみんなでハイタッチ!
歌の後、荷物を積むのを待っていると、リーダーのマスーがポーター達にお金を渡している。
早速、賃金を払っているようだが、ポーター達が強そうなのと、マスーの貫録がすご過ぎるのとで、闇取引をするギャングとそのボスにしか見えない…。(ごめんね、マスー…。)
私たちはここから3時間ほど車に乗って、アルーシャまで行く。
毎朝お湯とお茶を持ってきてくれて、食事のたびに給仕してくれたジェフとアリとはここでお別れ…。
ガイドたちは車に同乗して、それぞれ自分が住む町で降りて行く。どんどん少なくなっていって寂しい…。
日が落ち始めた19時頃、アルーシャに住むセレマとレミーと一緒にアルーシャに到着。
両替所でUSDをタンザニアシリングに両替して、近くのスーパーでお土産を購入。紅茶やコーヒー、キリマンジャロビールを買う。(ビール340mlで100円くらいだったと思う。)
その後、町の中心にあるホテルへ。アルーシャはかなりの都会。ホテルも近代的で、Wi-Fiも使える。
アフリカも進んでるなーと久しぶりのお風呂を楽しみにしていると、お湯が出ない…。なんと給湯器が壊れたらしい。やっぱりここはアフリカだった…。
結局風呂に入れないまま、21時にホテルのビュッフェで夕食。その間に、無事給湯器は直って、久しぶりの風呂でさっぱりする。
登頂証明書
踏んだピークによって枠の色
が違うらしい。
今日は大みそか。ホテルの庭では、カウントダウンのパーティをやっている。
おかげでうるさくて眠れない…。
「5, 4, 3…」といよいよカウントダウンが始まったので、時計を見ると11:57。あれ?私の時計、狂ってるのかな?と思ったが、同室のI川さんの時計も11:57とのこと。
3分フライングで年越ししてしまった。うーむ、大らかなアフリカらしいが、ここは重要では??
マラリア対策かホテルのベッドには蚊帳が付いている。
面白がって、蚊帳を掛けて寝るが、途中から暑くてなかなか寝られず…。
久しぶりの広いベッドにも関わらず、あまり良く寝られないまま、朝を迎える。
1/1
朝食後、最後の荷造り。昨晩、スーツケースの蓋が何とか閉まることは確認したが、なんとカギが掛からない!
詰め込み過ぎかと、少し荷物を抜いてみるがそういうわけではないらしい。
試しにスペアのキーを使ったら、無事掛かった…。行きで持ち手は崩壊するし、もう散々だ…。(帰国後、早速廃棄しました…。)
今日は午前中、サファリ観光して、夕方の便で帰国。セレマがホテルまで見送りに来てくれていた。今度こそ本当にお別れだね…。
ホテルから4−6人に分かれてジープに乗り、アルーシャ国立公園へ。入口のゲートからメルー山が見える。
残念ながら雲が掛かって、頂上は拝めなかったが、なかなか綺麗な山だった。
昨日、レミーに聞いたとこによると4日くらいで登れるらしい。
でも野生動物がいるので、ガイド、ポーターの他にハンター(!)が必要とのこと。
手続きをして、ジープでサファリ観光開始!早速、シマウマやらキリンやらサルやらと遭遇。
サファリ内はかなりのダート道で、車が揺れる揺れる…。それ自体がアトラクションみたいだった。
途中、フラミンゴの居る湖を見ながらランチ。お腹が満たされすっかり眠くなり、ガッタンガッタンのダート道にも関わらず爆睡。
キリンさん
キリンさんとメルー山
象さんにバッタリ!?
今回はかなり動物が見られたため、想定以上に時間が掛かった模様。
ものすごいスピードで、片っ端から車を追い越し続け、空港へ向かう。
同じグループの車まで抜かす必要はないと思うが、この運転手、ただの走り屋か?
途中、土産物屋に寄るが、うちのジープのエンジンが掛からない。最初から調子悪そうだったが、あんなにスピード出して酷使するから…。
車を人の手で押しながらエンジンを掛けて、空港まで何とか到着。(その後、無事、アルーシャまで帰れたかは知りません…。)
名残惜しい中、タンザニアを後にし、行きと同じくドーハで乗り継いで、日本時間1/2の夕方、寒い寒い日本にたどり着いた。
陽気な整備員。
さようならー、タンザニア!
感想:
・今回のようなツアー登山、ガイド登山は初めてだったが、現地の人とも仲良くなれるし、こういうスタイルの登山も楽しかった。
・今回は昨年の失敗から万全の注意を払い、高度順応にほぼ成功したおかげで、快適登山を楽しめた。高所では酸素が少ない。
さらに、脱水が起こりやすいため、血液が濃くなり、結果、酸素が行きわたらなくなり、高山病の症状が現れる。
なので、高山病予防には水分補給、ゆっくりとした腹式呼吸が大事。そして風邪を引かないこと、ゆっくり動くことも大切。
あと、頭を冷やさないように、3720mからはニット帽を被っていた。
水は食事の際のお茶などを合わせると、1日3L以上取った。個人手配と違いストレスフリーだったのも、高山病にならなかった要因かも。
・ダイアモックスを飲むのは初めてだったが、効果はあるような??参加者でも飲んでいる人が多かった。
飲まなかったら高山病になったかは分からないが、それほど副作用もないので、飲むに越したことはない。
服作用としてはトイレの回数が増える、手足の指先がしびれるというのがあるが、そもそも水をいっぱい飲んでいるのでトイレが特に近くなった気もせず、手足のしびれも別に困る程ではなかった。
もし次回5000mを越えるようなことがあれば、そのときも飲むと思う。
(ダイアモックスはそもそも緑内障の薬。高山病に効くメカははっきりしていないが、脳内を酸性にし、酸素をより取り込むよう呼吸を刺激することで、高度順応を促進するらしい。)
・血中酸素飽和度は私の場合、最低でも87だった(キボハットにて)。
70台で無事登頂した人も居たし、「いくつだからいい」というものではないらしいが、昨年、ネパールで下山した際は65まで下がっていた。
・シュラフはカモシカスポーツの厳冬期用(おそらくモンベルの#0か#1辺りに相当、シュラフカバー無し)を持って行ったが、ホロンボハット(3720m)までは、暖か過ぎて下着姿で寝るほど。
最後のキボハットでも、衣類全てを着るような必要は全く無く、モンベル#3でも十分だったかもしれないが、まあポーターが持ってくれるので、そこは軽量化しなくてもいいかな??
・雨がちょこちょこ降ったので、傘が便利だった。
・アタック日は深夜に軽食を食べて出発。
キボハットに帰るまで10時間近く掛かるので、行動食が必要。
その他の日は、飴やチョコを少し食べる程度。結局、余ったお菓子はポーターやガイドにあげました。
文章/小林