南八ヶ岳縦走(2014/2/28-3/2) メンバー/中嶋・小林
2/27-28:
2/27、22時梅田発の夜行バス(クリスタルライナー)で中央道小淵沢へ。
翌28日5時40分頃着。あらかじめ予約しておいたタクシーに乗り、観音平口に向かう(所要時間15分程度、料金1970円、途中コンビニあり)。
冬期は編笠登山口の観音平まで車が入れないため、観音平口のゲートから車道歩きが始まる。準備を整え、6時20分頃出発。
今年は関東平野部でも雪がよく降り、都心でもかなりの積雪でニュースになるほどだったが、運転手さんの話によると、この山梨の街中でも例年にない積雪とのこと。
この言葉通り、早速、わかんを付けて長い車道を歩くことになった。ソロと思われる先行のトレースがあるが、この先行者、かなりの巨人のようで歩幅が広い。
このため、トレース通り歩くことが出来ず、かなり歩きにくい。調べていた記録では、1時間半ほどで観音平の登山口に着いていたが、我々が到着したのは8:50。2時間半も掛かった。
そもそも、その記録では、ここから大分登ったところの押出川からわかんを付けていた。
今年の状況は例年とは違うことを思い知らされ、先が思いやられるが、天気は思ったよりも良く、登山口からは富士山と南アルプスがよく見えた。気温も高い。
(長い車道歩き)
ここから本格的な山登りが始まるが、相変わらず先行者(謎の巨人)のトレースの歩幅が合わないので、ラッセルとまではいかないまでも、いちいち沈むのでじわじわと体力を奪われる。
とはいうものの、ぬぺっとした尾根でリボントレースもあまり無いので、ルートが分かるだけ有難い。
「展望台」を経て、12時半過ぎ「押出川」に着く。
(押出川上から見る富士山)
ここで、編笠頂上経由で今日の天幕予定地である青年小屋へ行くルート(以下、頂上ルート)と、頂上を巻いて直接青年小屋へ行くルート(以下、トラバースルート)に分かれる。
コースタイムは若干、トラバースルートの方が短いが、謎の巨人(=先行者)のトレースは頂上ルートに向かっており、トラバースルートにトレースは全く無かった。
どちらを行くが悩むが、編笠の頂上自体に興味は無く、頂上直下はけっこう急登のようだったので、トラバースルートに行ってみる。
ラッセルとルートが分かりにくそうな点が心配だったが、少し進んでみたところ、深いラッセルというわけでもなく、木にペンキやリボンの印も見えたので、トレースないところを行くのも面白かろう、と軽いノリで、トラバースルートを行くことにする。
1時間ほどトラバースしつづけ、一旦休憩。ここら辺りから、青年小屋への登りが始まって、あと1ピッチで着くだろうと思ったのが甘かった…。
急に印が無くなり、少しトラバースを続けると、木の生い茂る尾根に出たので、その手前から上へ上へ登って行くが、まったく印が出てこない。
進行方向左手の視界が開けた尾根に進み、編笠の頂上を確認する。
青年小屋は頂上から少し下ったコルにあるが、編笠はお椀をひっくり返したような山なので、尾根やコルがはっきり分かりにくい。何となく狙いを定めて登って行くが、またまたシャクナゲや低木が生い茂る箇所に出てしまう。
印も無く、明らかに正規のルートから外れているため、ここは素直に元来た道を戻り、最後の印があった休憩地点まで戻る。
(道間違え中・・・)
ザックを置いて、よくよく印を探すと、外れかけたテープを発見。そこから、途切れ途切れにペンキの印を発見出来た。
正しくは休憩地点から一旦少し登ったあと、さらにトラバースを続けなくてはいけなかった。
ここら辺りから、急に印が減り、特にルートが分かりにくいところに印が無いので、気を付けながら進むが、もう少しで着くだろうと一度思ってしまっただけに、長く感じた。しばらくトラバースをした後、いよいよ登りに入るが、特にここからが長かった…。
傾斜も緩くなり、そろそろ着くだろうと思うがなかなか着かない…。
トップをこまめに交代しながら進み、ようやく16:30過ぎ、青年小屋が見えたときはやれやれといった感じだった。
道に迷って1時間近くロスし、結局、本日の行動時間は10時間超。
クライミングならまだしも歩きで10時間は、なかなかの腹いっぱい度だった。
(ようやく着いた青年小屋・・・)
青年小屋には冬季小屋もあるが、誰も居なかった。謎の巨人(=先行者)はどこまで行ったのだろう…。トレースは権現へと続いていた。
我々も6時発で遅い出発でなかったにも関わらず、追い付けないとは余程のスピード…。ますます謎めいてきた…。
冬季小屋は空っぽだったが、せっかくなので富士山を正面に拝める青年小屋前にテントを張る。
一本だけ持ってきたプレミアムモルツで乾杯し、早々に夕飯も食べる。この頃には雲が出始め、富士山も見えなくなっていた。
(富士山を正面に!贅沢なテン場♪)
3/1:
4時起床。夏合宿で食べ飽きて、それ以来封印してきた棒ラーメンの朝食。
野菜が入っていたこともあったが、久しぶりに食べるとなかなか美味しく頂けた。
6時、ガスの中、青年小屋を出発。多少沈むが、わかんは付けずにアイゼンのみで謎の先行者のトレースを辿る。6時半にノロシバ着。
(ノロシバ手前)
ここから右方面に進み、ギボシへの登りが始まる。
事前の調べによると「雪が多いと雪崩れることもあるので、その場合は尾根を行くこと」とあったが、青年小屋までの雪の多さに比べて、上の方は雪がそれほど多くないようだった。
権現小屋を過ぎて、8時前に権現岳下の長い梯子に至る。長いとは聞いていたが本当に長くて、気が抜けなかった。
ここからしばらく稜線上を行くが、視界は相変わらず無く、小雪も舞い、風も出てきた。赤岳の登りに入るまで、ルートが分かりづらいところも数か所あるので、トレースがあるのは有難かった。
昨日のこともあるので、忠実に先行者のトレースを辿る。
それにしてもこの姿の見えない巨人、テントを張った跡も見つからない。一体、どこまで行ったのか…。ますます謎は深まる…。
(ギボシへの登り)
(権現岳の長いはしご)
いつのまにかキレット小屋は通り過ぎたようで、9時過ぎ、赤岳の急な登りに入る。
岩稜で雪も多くないので、トレースはあまり残っておらず、岩に付いた白いペンキや鎖を目印にルートファインディングするが、白いペンキと雪が見分けにくい。
昨日の一件のおかげで、やたら慎重に進んで行く。そして12時20分、赤岳頂上に達する。
先行者のトレースにも助けられ、今日は順調なタイムで進むことが出来た。
(赤岳への登り)
(誰も居ない赤岳山頂)
さて、本来ならば、赤岳展望荘にテントを張り、翌日、硫黄まで縦走し赤岳鉱泉経由で下山の予定だが、風は強く視界も無い。
普通ならば登山者で賑わう赤岳山頂にもだーれも居ない。(そもそも、昨日からここまで誰一人の他の登山者に会ってないが…。)
明日は今日より悪くなる天気予報であったので、ここで粘るより、時間も早いし行者小屋まで下ることにする。
文三郎新道から下山することにし、頂上付近のポールの先に続いていたトレースを辿るが、何だかいつもと違う。
印も無いし、おかしいということで、一度頂上に戻る。
どうやら先程のポールは進入禁止のポールだったよう。2日連続やってもうた…。
これまで文三郎新道への下山で悩んだことは無かったが、下り口がよく分からない。
地図によると権現から来た道と文三郎新道は頂上で分岐するようになっていたため、頂上をウロウロするが、試しに権現から来た道をしばらく下ると、文三郎との分岐の看板が見つかった。
あとはサクサク下り、14時頃行者小屋まで下る。天気が悪いせいか、テントは4−5張りしかなかった。
このまま美濃戸まで下ることも考えたが、この日の行者小屋は営業しており、ビールも買える♪。ということで、今日はここでのんびりすることにする。
二日間よく歩いて疲れた疲れた。お互い疲れていたので、それほど酒も進まず、中嶋さんの持ってきたブランデーも飲みきることなくお持ち帰りとなった。雪はずっと振り続けていた。
3/2
4時起床、6時出発。昨日からの雪でテントも大分埋まり、トレースも完全に消えていた。
うっすらくぼんだトレース跡をツボ足で辿る。南沢大滝の分岐のところで、登ってくる登山者と出会い、トレースがつながる。
お風呂目指してがんがん下り、8時半、美濃戸口に着く。
幸いお風呂もやっていたので、9時半の茅野駅行き始発バスを待つ間、風呂に入り、早速ビールを飲む。
やっぱり下山してきて飲むビールは最高♪。
さらに茅野駅行きバスの運転手さんが「美人過ぎる運転手」だったので、中嶋さんのテンションも上がる。塩尻〜名古屋と乗り継いで、大阪までご機嫌で帰った。
感想:
八ヶ岳は冬でも人が多いというイメージがあったが、編笠〜赤岳はほとんど入る人が少ないようだった。
残念ながら赤岳〜硫黄までつなげることは出来なかったが、ラッセルあり、岩稜あり、と変化もあり、雪山を歩く醍醐味を感じられるルートだった。
冬の八ツというと、ベースを張ってバリエーション、という山行を組みがちだが、あえて縦走してみるのもおすすめです。
装備:
記録/小林