(7)詳細報告その4

 

4/9()

8時過ぎに出発。行きはガスに包まれていたモロ・ラの峠。

今日は青空!エベレストが見える!!こんなに景色良かったんだー!!ここからテンカンポチェ隊との無線は通じなくなる。

ラムさんがツルさんと最後の交信をさせてくれた。「日本で会いましょう!成功祈ります!」と伝える。

峠の雪もだいぶ減った。景色のいい場所でエベレスト、タムセルク、クスムカングル…を見ながら、昼食。

ヌプラの後ろにコンデもちょこっと見える。ここでお別れだね。登らせてくれてありがとう。

 

 69「手前中央がタムセルク。左奥にエベレスト。」

 

 70「おない年のラムさんと」

 

 71「はしゃぐ40歳…。ちなみにラムさんのお約束ギャグは「ダウラギリ、オニギリ、ニルギリ」。(おにぎり食べる度、必ず言う。)」

 

今日はヤクカルカで最後のキャンプ。チョンベさん最後の夕飯はダルバート。

そして、2回目の登頂ケーキ!今回はチョコレートケーキだったー!

ダルバートもしっかり食べた後だったのに、二切れも頂いた。お腹苦しくてなかなか眠れんかった。

 

 72「お祝いケーキA」

 

4/10()

今日はルクラまで行く。最近は雨が降っていないのか土埃がすごい。すっかり埃だらけになった。

ドゥードゥーコシまで下って橋を渡ると、チョンベさんが川辺で料理しているのが見えた。

最後のランチは川辺でピクニック♪。粋な計らいだね〜。

 73「川辺で調理中のチョンベさん」

 

 74「最後の昼食」

 

コシでエベレスト街道と合流すると、一気に町に下りてきた感!この3週間弱、自分たちのキャラバン以外の人と会うことは無かった。建物を見るのも久しぶり。

トレッキングシーズン到来で3月よりグッと人も増えたみたい(欧米人がほとんど)。

途中でICIの奥田さんのエベレストに付くと聞いていたキタップさんと再会!登頂を報告。

ツルさんが「強い」と称していたキタップさん。

ツルさんの超人ぶりを目の当たりにした後だったので、あのツルさんが強いっていうキタップさんはどんなに強いんだろうと、まじまじと観察してしまった。

そして13時、ルクラに到着!泊まったロッジでは、シャワーが浴びれるらしい!

トイレ・バス付のいい部屋をラムさんが取ってくれていた。ここで浴びれると思っていなかったので、シャンプー類はカトマンズのホテルに置いてきてしまった。

近くの土産物屋で小袋のシャンプーを買う。こんなに風呂に入らないのは初めてなので何個必要か分からない…。念の為4袋購入。

一袋10ルピー払ったが、よく見たら袋には1.5ルピーと書いてあった…。かなりぼったくられたが、まあいい、とにかく髪を洗いたい!!

このロッジではWi-Fiが繋がる。Sさんは仕事のメールのチェックをしたいということなので、先に浴びさせてもらう!

昨年浴びたIさんは「途中から水だった」と言っていたので、恐る恐るシャワーをひねってしばし待つ

…と、出た出た、お湯が!(ソーラーで沸かしているので、晴れた日の15時くらいまでは大丈夫らしい。)うひゃー、気持ちええー。

シャンプーは結局3袋使った。最後までばっちりお湯ですっきり!体が軽くなった!

ほわわわーんとした気持ちで食堂に行くと、ラムさんがテレビ見てた。

風呂上りと言えばあの黄色いシュワシュワした飲み物だが、ひとりで飲むのもフライングかなーと思っていたら、ラムさんが「飲みますか?」だって!さすが気が利く!

シェルパビールを600ルピーで購入♪。18日ぶりのシャワーとビール!!!最高〜。

Wさんもシャワーを浴びて出てきたので、かんぱーい!しばらくすると、ラムさんも仕事片付いたってことでチョンベさんと4人でかんぱーい!

久しぶりのビールが結構回ったので、一旦部屋で横になる。は〜、脱力感〜。

 

 7518日ぶり…」

 

夕飯にももちろんビール♪。ラムさんがアテに「スクティ」を頼んでくれていた。

水牛をスパイシーに炒めたもの。干し肉くらいに固いが、じっくり噛んで旨味がジワジワ出てきて、ビールにぴったり!

メインはやっぱりダルバート。ご飯アダ(=半分の意)と言わなかったので、山盛りご飯だったが、残さず頂いた。

ここのカレーは茶色くて日本風だった。

 

4/11()

ロッジでチャを飲んで、6時過ぎに空港へ。

ここでチョンベさん、息子のサンタビ(つまりクリシュナの弟)、そしてジェッタさんとお別れ。美味しいご飯をありがとう。

カタを掛けた欧米人であっという間に大混雑。欠航が多いルクラ便だが、行きと同様、あっさり飛んだ。

山の見える右側の席をゲット。あの辺りに居たんだなー、テンカンポチェ隊は元気かなーと思いを馳せる…。

カトマンズに着くと、折り返しの飛行機に乗るICIの奥田さんご一行とすれ違った。ラムさんはお知り合いらしい。

直接面識はないが、私もご挨拶しておいた。平出さんがプリングルスを食べまくっていたのが印象的だった…。

空港にはツルさん兄弟の三男サンタマさんが迎えに来てくれていた。

チェックインも荷物検査もかなり雑だったが、不思議と荷物もちゃんと届き、タメルに移動。

後半は登山前の飲み会で紹介されたラムさんのお友達のホテルに泊まる…はずだったが、いっぱいだったとのことで、違う友達が経営するHimalayan Trek Innに。

経営者のデベンさん、奥様が日本人とのことで、日本語流暢。

朝食後、少し町を散策してホテルに戻り、シャワーですっきり。夜は西洋人が多く集まるお店でステーキ食べた。

 

4/12()

午前中はホテルの中庭で絵葉書書き。喧騒のタメルも一歩入ると落ち着きます…。

5枚みっちり書いて、「ニューエベレストモモセンター」でモモ食べてから、絵葉書を出しに地図上の郵便局に行くと、机と椅子があるだけ…。

と、おじさん登場。切手を出してくれた。しばし見つめ合い…、貼れってことね、と理解する。

当然日本のように湿らすスポンジはないので、ベロッとなめて貼る。おじさんも数枚べろんちょしてくれた。そしてまたしばし見つめ合い…ポストは無いよう。

おじさんは消印をボンボン押して、もう帰れという雰囲気だったので置いて出てきた。(一週間ほどで、ちゃんと届いたそうです。)

夜はラムさんとチベット鍋の「ギャコク」を食べにホテルウッツェの中にあるレストランへ。

ラムさんは明日からロブチェのガイドに付くので今日でお別れ。話題はスタッフの話へ。

ダンクマのお兄さんがキタップさんだとか、チョンベさんの奥さんがカカさんだとか、チョンベ・クリシュナ親子はツルさんちの1階に住んでるだとか、驚きの事実がボロボロ出てきた。

スタッフほとんど親戚みたいなもんだ。通りでチームワークいいはず。改めてツルさんファミリーの凄さを思い知った。

 

 76「ギャコク。具だくさんで、程よく辛くて美味しかった。」

 

4/13(木)

サンタマさんと登頂証明書用の写真を印刷に行く。

パスポートサイズの写真がなかったので、デジカメで撮った写真を印刷するが、なかなかの修正技術でうまいこと仕上がった。

午後はSさんとアユールヴェーダを受けに「アユールヴェーダヘルスホーム」へ。郊外の住宅街にあり、タクシーの運ちゃんに言っても分からない。

付近で降ろしてもらうが、町の人に聞いてもみんな分からない。

もうダメかと思ったけど、Sさんの「迷ったときは元に戻る」というアドバイスに従ったら、看板が見つかって30分遅れで何とか到着。そうそう山でも鉄則ですよね。

思ったよりしっかりしたところで泊まりでじっくり受けることも出来るみたい。75分のボディマッサージですっきり。

夜はダルバート。今日はネパール暦の大晦日なので、いつも以上に賑やかなタメルでした。

 

4/14(金)

いよいよ最終日!!といっても飛行機は22:50。

ホテルは12時チェックアウトなので、午後はツルさんちで過ごさせてもらう。といってもツルさん居ないし、2回目だし、恐縮しきり…。

日本で買った手土産は最初にツルさんに渡してしまった。仕方ないのでスーパーで買ったベルギーチョコを持って行った。

ツルさんちまでタクシーで行くが、中に積みきれなかった私の大型ザックはタクシーの上の荷台にぼんっと置かれただけで、固定してくれているわけでない。

町中とは思えないダート道。日本だったら、いまどき林道でも無い様なガタガタ道だ。

あちこち工事中だし、水たまりも多いし、人も多いし、そんな中、ビュンビュン飛ばすので、荷台から転げ落ちるのではと気が気でない。

でもこっちじゃこれが普通なのかな、と思っていたら、サンタマさんも心配そうに時々顔を出して確認しているではないか!ぐえー、めっちゃ不安。

運ちゃんはそんな私の気持ちもお構いなしに、ダート道(もう一回言いますが町中です)をクラクション鳴らしながら進んでいく。

建物のガラスに車が映るたびに、荷物があるか確認すること約30分。何とか落ちずにツルさんちに到着。

ツルさんちでビールとダルバートを頂いた後、近くの寺院・ボダナートへ。

ネパール暦の正月なので人がいっぱい。それだけでは時間はつぶれないので、再びツルさんちへ。

ツルさんの写真や地図見たり・・・それでもまだまだ時間はある。サンタマさんとTVでクリケットを見る…が、ルール分からない。

サンタマさんが説明してくれるが、やっぱりよく分からない。

ネパールはインドの隣なので、インドのTV番組も多い。だからヒンディー語も話せる人が多いんだと。

さらにそれぞれの種族の言葉もあるので、サンタマさんに至っては、ネパール語、ヒンディー語、タマン語、英語、日本語を話すらしい(日本語がいちばん苦手だそう)。

 77「ボダナートの巨大ストゥーパ。サンタマさんと。」

 

Wさん、Sさんは寝てしまった。時間を持て余す私を見かねて、奥様がまたビールを勧めてくれるが、もちろん丁重にお断りさせていただく…。

結局、焼きそばの夕食まで頂いて、少し早いが18時にツルさんちを出る。最後に奥様からカタを頂いた。長々とお邪魔しました…。

  

 78「さよーならー、ネパール。きっとまた来るねー。」

空港までのタクシーはちゃんと荷物を荷台に縛り付けてくれたので安心。

30分も掛からずトリブバン空港に到着。いよいよネパールともお別れだ…。

サンタマさんもカタをくれた。旅立つ人はみんなカタを下げている。人がごった返す中、慌ただしくお別れ。

このゴチャゴチャ感にもすっかり慣れ、埃だらけのカトマンズもマスクなしで歩けるようになった。ネパールに着いた1ヶ月前が遠い昔に感じられる…。

決してスムーズな登山で無かったし、楽しいことばかりでは無かった。でも、何だろう、この寂しさは…。

BCまで遠いアプローチ、高度順応、天候予備日…、ヒマラヤ登山には、第一に時間が必要。普通の社会人が休める範囲の日数では、とても普段通りに動けるまで高度順応できない。

凡人にはアルパインスタイルどころか、ルート工作を自分だけでするのもほぼ不可能だ。

そうなると、どうしても現地ガイドの力を借りる必要があるが、日頃、ガイドを付けずにアルパインクライミングをしている者にとっては、気持ちを切り替えないとストレスたまる。

今回、実際に経験して、クライミング自体を楽しむなら、時間も短くて、ガイドを付ける必要のない日本やヨーロッパだと実感した。

それでも、あの薄い空気の中にもう一度自分を置いてみたいという気になるのはなぜだろう。

「自然に許された時、山に登ることが出来る」と思っているが、ヒマラヤほどそれを強く感じることはなかった。

他にはないあのスケール。そして時間を掛けてじっくり山に馴染んでいくという感覚。

山の厳しさと素晴らしさをより濃厚に感じられるところ。そこがヒマラヤの醍醐味なのかもしれない。 

 

(5)高山病について

高度に弱いと思っていた私でしたが、そうでもないのかも。体質・若さは有利だが、経験も重要だと感じた。

自分がどの高度に弱いとか、その時の対処法とか、高所を何回か経験することで対応できることもある。

例えば、私は3,500m4,000mが最初の関門なので、そこで高度順応するのがいい。(おそらく普通の日本人は同じだと思う。)

その他、これまでの経験から心がけたのは、ダウン、ニット帽、首巻を着用して体を冷やさない、

呼吸は吐くことを意識してスーッと吐き切る(行動中苦しいときや、頭が痛くなったらこれを実践)、山で寝ているとき鼻が詰まりやすいので鼻炎スプレーを持参、など。

あとは何より風邪を引かないこと、ストレスを溜めないこと。

私の場合、SpO23,6003,900mでは90台、4,800mBC80台まで下がった。

脈拍は最初に3,600mまで上がった直後109まで上がったが、慣れてくると6070台まで落ち着いた。(ちなみに平地では60切るくらい。)

人によって、これら測定値と症状の出方に差があるようで、例えば森田さんはSpO270台でもへっちゃらにしていたし、

90台で高度障害の症状が出ている人もいた。個人差はあるが目安にはなるので、測定することに意味はあると思う。

 

番外編へつづく