大峰山 奥駆道
6月2日〜6日
中嶋
6月2日
前から一度修験道なるものを歩いてみたいと思っていたが、なかなか時間がとれず、時間がとれてもアルパインに出かけたりした。
会社を早期退職しヒマラヤに行き、時間に余裕のある今こそチャンスだと思い計画した。また日本の山の素晴らしさにも改めて感動してみたい思いもあった。
平日含む5日間も付き合ってくれる暇な連れ合いもなく一人始発で吉野まで行く。
吉野から本来は歩くのだろうかと思いながら、バスがちょうどあるので奥千本口までバスで行くことにした。
バスを待っていると旅館の人が挨拶してくれたのでバス停は間違っていないかを確認。
バスの乗客はひとり運転手さんに色々吉野の歴史を聞いたり一人横浜から昨日奥駆けに入ったとの情報を聞いたりなんとも登山者にやさしい地域である。
9時半修行門と書かれた厳めしい門が終点であった。
ここからスタート、いきなりの結構な登りである。
ヒマラヤでの高度順応と高地トレーニングをした体で楽勝と思ったが結構山上ヶ岳までの登りはきつい、途中心が折れそうになるも一日目で敗退はあまりにもあまりなので我慢して歩く。
小笹宿に5時ごろ到着。平日なので誰もいないだろうとおっていたが、なんと二人連れの男性が先にマットを広げている。
なんとか一人分のスペースを空けて頂き今日の寝床を確保した。水も確保出来る。
先の男性たちも平日は二人だけだろうと思っていたらしい少しびっくりしていた。何度も奥駆けには来ている様子。
聞けば本来は那智大社から吉野の川までが本来の修験道であったとのこと。
色々話しているとなんとヒマラヤに一緒に行った人の某山岳会のメンバーだと分かる。なんとも狭い世界である。(男性二人は釈迦ヶ岳までとのこと)
そうこうしているとなんとまたもう一人宿泊の男性が入ってきた。この平日にこの狭い小笹宿で男性4人が宿泊することとなった。
後からの男性は金沢大学の大学生で休学中とのこと。
実家は駒ケ根市で沖縄に行っていて関空に降りて奈良駅に電車で行き奈良駅から歩いて奥駆道に来たと言う。
いでたちもサンダルにテントも地図もなし。なんともよくやる若者である。20時頃就寝。
6月3日
4時起床しまだ皆さん寝ていたので周りの人に気を使いながら5時に出発した。
昨日と違って歩きやすい稜線が続いて少し安心する。気持にも余裕が出来て稜線の風景を楽しみながら快適に歩く。日本の山はやはりいい。
弥山小屋で水を4L買う。水の補給がこの縦走のキモである。
14時半頃楊枝ヶ宿小屋に到着。
深山宿まで行こうかと思うが、まだあと3時間ほど歩かねばならないので急ぐこともない山旅だし、弥山で買った水も充分あるしこの小屋に泊まることにした。
水場があるとのことなのでテープを追って水場に行ったが枯れていてほとんど出ていなかった。
しばらくすると女性の人が小屋に来た。もうしばらくすると男性の人が小屋に来た。
なんと男性の人は私がコピーしたトポを作成した人(新宮山彦グループの会長さん)だと言う。詳細なトポで助かっていますとお礼を言う。
なんと新宮山彦グループの人は道の整備や山小屋の管理までしている。なんとも頭が下がる思いです。
このように大峰山・奥駆けを愛する人がいるからこそこうして快適に山旅が出来るのだと改めて感心する。ありがとうございます。
そうこうしていると小笹宿で知り合った大学生もこの小屋にやってきた。今日は土曜日なので小屋泊まりは4人。それにしても立派な小屋である。
4人寝ても余裕でまだ二階にも寝られる。女性も大学生も水が少ないと言うので女性は会長さんが水を差しいれし、大学生には私が水を差しいれした。20時頃就寝。
6月4日
4時起床。5時出発。とりあえず今日は持経の宿まで行って水を補給しそれから先に進むかは持経の宿で考えようと歩きだす。
まだ水は2L弱ある持経までは大丈夫だ。今日も快適な尾根歩きに心が弾む。
トポを見ながら、釈迦ヶ岳で休憩しているとたまたま新宮山彦グループの人に出会う。
この人は和歌山市の人で私と同郷である。新宮山彦グループの人は近くの人かと思ったら会長は東大阪市だったし、皆さん遠い所ありがとうございます。
{次の週この方と会長さんに前鬼川の沢登りで偶然会うことになるとはこの時は想像だに出来なかった。}
しばらく歩くと男性が一人歩いている挨拶するとなんと熊野まで行くと言う。大学生に続く二人目の奥駆け人である。
話していると彼は横浜から来た人であった。追いついてしまったのだ。それになんとリストラで失業中だと言う。全く私と同じ境遇ではないか一気に親しみがわいた。(笑)
しばらく一緒に歩くと彼は持経の宿の二つ先の行仙宿山小屋まで行くと言う。
連れ合いがいるなら私も行仙宿山小屋まで行くかと腹を据える。とりあえず、水場のある持経の宿で落ち合う約束をして別れる。
14時頃持経の宿に着いた。水場は歩いて5分位の所で大峰山にしては豊富に水が出ている。プラティパス2つに水を5L入れて宿に戻った。
よく見ると2つのプラティパス両方とも小さい穴が開いているではないか。なにかザックが濡れているような感じがしていたが原因が分かった。
この縦走で水漏れは致命的なので幸い宿にあるペットボトル(1.5L)を2本拝借し使わして頂いた。(重ね重ね新宮山彦グループの方有難うございます。)
そうこうしていると小笹の大学生と横浜の男性が宿に来た。
三人でのんびり話していると横浜の男性が疲れたのでここで泊まると言う。(えつ!あなたが行仙宿まで行くて言ったから行仙宿まで行こうと思っていたのに・・・。それならわしもここで泊まろう!)
夕方になると行仙宿まで行くと言っていた大学生までもここで泊まると言う。良い良い。旅は道ずれ世は情けじゃ!と三人で持経の宿に宿泊。
横浜の人が持ってきてくれたバーボンを頂きながら親睦を深めた。話が弾んで21時就寝。
6月5日
4時起床。5時出発。お互いに今日の宿泊地である玉置神社の駐車場で会う約束をして出発。
最初は気持ちよく歩きだしたが今日の行程は長い、アップダウンの多い笠捨山や道の悪い地蔵岳を超すうちにだんだん疲れもたまってくる。
16時頃やっと玉置神社の駐車場に到着。
玉置神社の境内で水を貰い、御神酒を貰い、自動販売機で立て続けにジュースを3本飲んで休憩する。
17時頃二人も到着。各々晩御飯を作り歓談していると20時頃暗い道をヘッドライトの明かりが近付いて来る。
良く見るとトレランの男性だ。(見かけた年齢は私より上のようだった。)
なんと途中深仙宿で仮眠して吉野から二日でここまで来たという今から熊野まで降りると言う。
なんともすごい人がいるものだと三人とも感心している横を熊野まで駈け出した。21時就寝。
6月6日
4時起床。5時出発。今日は熊野大社で会う約束をして出発。今日の行程もそこそこ長い。
大森山まで登りそこからは足が痛くなるほどの急な下り。
林道や道路に出て鳥居も見えてそろそろ大社かと思うがそれからが泣けてくるほど長い。
なんじゃこらー!まっすぐ下まで下せよ!と悪態を付きながら下る。修験道を歩く者としてはあるまじき気持である。まだまだ悟りの境地には程遠い。
やっと14時頃旧本宮に到着。先に旧本宮にお参りし、次に今の熊野本宮にお参りをする。
まだあとの二人は来そうにないので熊野本宮の鳥居の前でなんとか歩き通せたご褒美にビールを飲む。う、う、うまい!まだまだ悟りの境地には程遠い。
そうこうしいると大学生が到着。お互いの健闘を称えて握手と抱擁。二人ビールで乾杯。
そこで携帯を見ると横浜の人からショートメールが。なんと大森山の登りを間違ったらしい。
2時間ほど遅れるとのこと。最終のバスに間に合うのか微妙な時間。16時45分が最終である。
まーみんなドロップアウトした者ばかりである。乗れなければ温泉にゆっくり入ってどこか宿に入って打ち上げでもするかー!と思っていたら16時過ぎ頃横浜の人も到着。
やっと三人で乾杯!早速、紀伊田辺行きのバスに乗った。バスの中で乾杯!
バスで私の和歌山の実家にみんなで泊まって打ち上げやろうという話がまとまった。早々に実家の母にメールを入れる。紀伊田辺駅から和歌山駅までJRで移動。
電車の中で乾杯!和歌山駅前で和歌山ラーメンを食べながら乾杯!タクシーで実家へ、お風呂に入り、私の部屋に三人で今回の奥駆道の旅をさかなに四度目の乾杯!
まだまだ悟りの境地には程遠い私でしたが、予期せぬ楽しい山旅となりました。おしまい。
文責/中嶋
吉野の修行門
山上ヶ岳
気持のいい尾根道
玉置神社から見た夕日
やっと着いた熊野本宮大社