入山〜荷揚げ
12/24(火):快晴、10:30オルコネス→13:45コンフルエンシア
ここから入山のチェックインをするオルコネスまで、車で行くことになっている。朝食を食べて、バスが出ると聞いていた9時半に地下に行く。どこで待ってたらいいかJuliettaに聞くと、「準備できたら声掛けて」だって。「I’m ready!」というと、「OK!」と言って、自らバンを運転して、これまた私一人を乗せて、連れて行ってくれた。途中、「あれが山頂よ」と教えてくれる。初めてこの目で見る遥か遠くのアコンカグアの白い頂き。く〜、待ってろよー!!
オルコネスでレンジャーから、コンフルエンシアとムーラスでメディカルチェックを受けること、BCより上のゴミは各自の番号が書かれた袋に入れて、下山時にBCでレンジャーに渡してサインをもらうこと(ちなみに普通ゴミは白、ウ○コは赤い袋)、それらを怠ると罰金があること等の説明を受ける。説明が終わると、これまたJuliettaの運転でゲートまで。ここでJuliettaともお別れ。ハグして、「Good luck!」と送り出してくれた。
ここで一人の男性に「自分も一人だから、一緒に行こう」と、声を掛けられる。彼(フェルナンド)は2年前、登れず、そのリベンジらしい。「どこから来たの?」と聞くと、「エルサルバドル」とのこと。…エルサルバドルってどこだっけ?確か中米?自分の地理の疎さを呪いながら、エルサルバドルネタでは盛り上がれず、当たり障りない話でごまかす。雲ひとつ無い快晴!でも風が強い!すぐにズボンが砂ぼこりで真っ白。森田さんのネパール土産のネックウォーマーで口元を覆いながら歩く。フェルナンドは私以上にゆっくりなので、結局、途中で離れ始め、私は出発から3時間15分でコンフルエンシアに到着!レンジャーに声掛けて、チェックインする。ここで2泊するというと、明日の晩、メディカルチェックを受けるように言われる。
ここでのミッションはSophiaを探すこと。Inka社のテントを探し、声を掛けるが、Sophiaは居ないとのこと。またまたミッション達成ならず…。でも代わりの女性が対応してくれた。荷揚げされていた荷物を受け取り、テントを張ると、「レセプション」といって、フルーツサラダと総菜パン的な手作りスナック、ジュースを出してくれ、乾いた喉にフルーツサラダが染み渡った!スナックもめちゃ旨いんだけど、2種2個ずつの計4個。常に量が日本の2倍なんだよな…。
夕飯は19時とのことなので、テントでのんびりしようと思うが、暑い!暑すぎる!日差しが強くて、テントは温室状態!風は強いが、全く涼しくないし、空気が乾いて乾いて、すぐにテントも砂まみれ。あらゆるものがザラザラする…。暑すぎて居られないので、ダイニングテントに移動するが、ここで日本人4人に会う。アルゼンチンに着いてから、全く日本人に会わなかったが、ここだけすごい日本人密度だ…。皆さん、単独の男性の方で色々と情報交換。向こうでは、炭でデッカイ肉を大量に焼いている。肉もだけど、それを焼く男性のイケメンぶりに興奮した。そういえば、今日はクリスマスイブ。今晩はご馳走かな♪。
なんやかんやで19時の夕食。こじゃれた前菜とカクテルを出してくれた。さらにさっき焼いていた炭火焼きの肉とデザート!テーブルにはワインもあった。まだ3300mだからいいよね、とコップ半分ほど飲んでしまう酒好きの私…。先程の日本人のうち3名は、ここでの食事は頼んでなかったようだが、クリスマスのサービスだか、皆に肉が振舞われた。Inka社、なかなか優しい。
さっきの「レセプション」で、あまり腹減っていなかったが、どれも美味しいので頑張って食べた。暗くなり始めた21時にはテントに戻ったが、スタッフ達のクリスマスの宴はまだまだ続く…。結局2時頃まで騒いでいた。高所順応の為に毎日4Lを目標に水を飲む。(メディカルチェックのドクターには5L飲めと言われたけど、さすがに無理だった。)なんで、トイレに5回くらい目が覚めた。
12/25(水):快晴、8:10コンフルエンシア→13:00〜13:20南壁展望台→16:40コンフルエンシア
体調はいいが、空気が乾燥しているので鼻の粘膜が荒れて痛い。鼻血まじりの鼻水が出る。鼻をかむと鼻くそと共にかさぶたが取れて、また血が出るのの繰り返し。(結局、日本に帰るまで治らなかった。)昨日会った日本人のうち2人はこの日のうちにBCのプラザ・デ・ムーラス4300mに上がるそうだが、私はこれまでの経験から、4000mに上がる前に、一度しっかり順応させるのが大事だと考えているので、今日は高度順応日とし、プラザ・フランシアまで往復する。朝食の時に会ったベラルーシ人は4時間くらいと行っていたが、全然遠い!その手前の南壁展望台(ミラドール)まで、5時間も掛った!ここでも南壁の迫力を味わえるし、プラザ・フランシアとの標高差も50mくらいなので、高度順応としてもここで十分と判断。しばらく時間を過ごしてコンフルエンシアに戻る。結局、往復8時間半も掛って、大変疲れた上に、明日のBCへの道のりも長丁場なので、思いやられる。
夕飯の前にメディカルチェックを受ける。一人一人けっこうな時間が掛かっている上に、アメリカ人の団体に割込みされたので、30分以上掛った。メディカルチェックでは、SPO2、脈拍、血圧を測定され、これまでの登山歴なんかを聞かれる。「レセプション」を食べた直後のせいか、血圧の上が150と高いことを指摘されるが、食べた直後だからかなぁ、ということで、後は問題なしでクリア。今日もボリュームたっぷりの夕飯と格闘していると、隣のテーブルから話しかけられる。ペルー人ガイドのイヴァンとそのクライアントのブラジル人カップル。イヴァンは私が一人だと言うと、「何でも聞いてね」と言ってくれたので、色々根掘り葉掘り聞いておいた。この後も、何かと色々声を掛けてアドバイスくれて、本当に助かった。今日も食べ過ぎで、就寝。
12/26(木):快晴、7:30コンフルエンシア→16:05プラザ・デ・ムーラス(BC)
予定通り、BCに上がる。22qの長丁場。一旦川まで下って、橋を渡ってからはひたすら、ひたすら、ひたすら、アンデスの乾いた大地を歩き続ける。日差しは強いのだが、風が強く、乾燥と砂ぼこりがすごい。皆、口元を覆って歩いている。なお、後から聞いたが、この日、上はものすごい強風でC3ではいくつもテントが潰れたらしい。
コンフルエンシアから900m標高を上げるのだが、前半はほぼ平坦で全く標高が上がって行かない。荷揚げのムーラの大群が何度も追い越していく。ムーラちゃん達は、ムーラ使いの人が居なくても、ちゃんと人を避けて歩いてくれて、かなり賢い。後ろから離れてやってくるムーラ使いの人たちは、揃いのハットにブーツ、そしてモジャモジャのお髭をたくわえて、とても素敵。追い越しざまに、渋く「オラ」と挨拶してくれるのがまたカッコいい。単調な長い歩きの中のささやかな喜び…。
小川が流れるだだっ広いU字渓谷歩きが終わると、ザレ場のアップダウン。ようやく遠くにBCらしきものが見えてくる。最後、急斜面を登ってようやくBCに到着。特に頭が痛いなどは無く、体調は良好。
レンジャーにチェックインのサインをもらって、Inka社のテントへ。ここでのミッションはMikaを探すこと。声を掛けるが、またもやMikaは居ない…。が、これまで同様、代わりに女性が対応してくれた。ここの女性陣は皆、賑やかで優しい!すぐに私の名前を覚えてくれて、例えば私が預けた自分の荷物を探していると、一緒に腕組んでBCの中を歩き回って、「タマキの荷物、どこ?どこ?どこー!?」と大声で探し回ってくれたり、何かと声を掛けてくれたり、とても温かい。まるで、近所の妹分(私)の面倒を見るしっかり者のお姉ちゃんといった感じ。(実際には私の方が年上でしょうが・・・。)
さて、ダイニングテントでいつもの「レセプション」を食べていると(残すと悪いのでフルーツだけにしてもらったが、それでもすごい量…)、Mikaが登場。荷揚げを頼んでいた荷物を受け取り、テントを張る。予定では明日は休養日。この2日、連日の長時間行動で疲れてはいるが、体調も天候もいいので、荷揚げすることにする。連日の晴れ続きでC1(キャンプカナダ)には、雪が無く、水が作れないらしい。C1に泊まるには水も荷揚げする必要がある。それならば、私はC1は飛ばして、C2(ニド・デ・コンドレス)まで行くことにする。標高差は1200mと大きいが、不便なC1に滞在するより、BCでしっかり高度順応と休養を行って、一気に上がった方がいいのでは、という作戦。また、当初の予定ではBCから高所靴で行く予定だったが、まるで雪がなくザレ場歩きになるので、高所靴は歩きにくいし、靴が可哀そうということで、靴も荷揚げすることにする。ただ、45Lザックには、食料5日分とガス、靴、アイゼン、ピッケル、防寒具は上手いこと収まらず、疲れた体でそれを一度に上げるのも大変かなということで、まずは靴とアイゼンのみの軽い荷でニドまで上がってみることにする。
夕食時、ドイツ人一家と一緒になる。このグループは明日、C1に上がるそう。ソロだと言うと、お父さんとお母さんが心配して、「こっちの男性もソロで、明日、C1に荷揚げに行くから、一緒に行動しなさい」と言ってくれて、その男性(ポーランド人のパブロ)と思わず失笑…。
12/27(金):晴れ、8:30BC→12:10 C1(キャンプカナダ)→15:00〜15:30 C2(ニド)→18:00 BC
C2ニドへの荷揚げ。いきなり変なザレ場の急斜面に取り付いてしまい難儀する。左の上方をスタスタ人が歩いており、道を誤ったことに気付く…。正規の道に合流してからも、なかなかスピードが上がらない。ザレの斜面にはたくさんの道が付いている。歩きやすく、且つ最短コースを選びたいが、結局どれもいい道はない。BCからは近そうに見えたのに、結局、標高差700mのキャンプカナダまで上がるのに、3時間40分も掛った。やれやれだ…。頭痛いとかは無いが、とにかくしんどい。ニドまで上がるなんて無理だ、と思いながら登っていたが、キャンプカナダまで着いてみると、やっぱりニドまで上がろうと決意する。
ここからも歩きにくいザレ場続き…。上で粘れるよう、食料多めに荷揚げしようと思っていたが、「あれも置いてこう、これも置いていこう」と必死で軽量化を考えながら登る。さらに3時間ほど歩いて、ようやくニドまで到着。岩陰にデポして、しばし時間を潰して帰る。膝が悪いので、帰りのザレ場もなかなかスピードが上がらなかった。
幸い首が少し張るくらいで高山病の症状は全く無いが、このしんどさは何だろう。今日は軽い荷でサクッと登るはずが、全くの想定外。まだ食料とガスを荷揚げしないといけないし、その方が今日より重いし、かなり凹む…。夕食時、Mikaに明日の予定を聞かれて、「もう一度、荷揚げにニドまで上がろうかな」と話していたら、パブロがマジ驚いて、「僕は金貰っても絶対ヤダ」と言ったが、私はパブロみたいに一度に荷揚げする力が無かったんだから、仕方ない。疲れが溜まってきたので、休養日にすることも考えていたが、その言葉で逆に火が付き、気持ちが途切れないうちにやり切るぞ!何が何でも明日も行く!と心に誓って寝た。
12/28(土):8:30BC→11:30 C1(キャンプカナダ)→14:20〜14:55 C2(ニド)→17:10 BC
気合を入れて、今日もニドへ荷揚げ!最初の道を間違えなかったこともあるが、あれ?なんかめちゃめちゃラク!荷物が多いにも関わらず、昨日より40分早くニドに着いた。たかが40分だが、体のしんどさは大分違うので、かなり自信付いた!人間の体ってすごい、きちんと順応してくんだな!二回目だとこんなに楽になるとは!(今後、これを「二回目の法則」と呼ぶ。)「デポを盗られることもある」と聞いていたので、少し離れた岩陰に入念に隠して、ルンルンで帰った。
夕食時、「今日も荷揚げに行ったけど、昨日より全然ラクだったよ〜。」と話していたら、パブロは「マジか」という表情。「約束する!」と、今日は休養日で明日からアタックするパブロに伝える。正直、昨日まではあまり相手にされていない感じだったけど、2日連続でニドに上がったことで少し認めてくれた感じで、今後、ちょいちょい話しかけてくれるようになった。
この晩から、家族の登頂をBCで待つドイツ人のお母さんに加えて、イギリス人親子もダイニングテントに加わる。一人の私に気を使って話しかけてくれて有難い。彼らも家族の登頂をBCで待っているらしい。けっこうBCまで、という人も多いみたい。
「ダイニングテントが一緒だったドイツ人お母さんとイギリス人親子」
12/29(日):晴れ
今日はレスト日!BCをブラブラ。27日に登頂したという日本人と話す。上は全く雪が無く、アイゼン・ピッケル不要だったとのこと。一人はニドからアタックしたが、頂上に着いたのがなんと17時、下山途中でツエルトも無いままビバークしたらしい…。もう一人は、アラスカからウシュアイアまで自転車で旅をしている「ついでに」登ったという方。面白い人が色々居るものだ。日本を出て早1年半、ウシュアイアまでもまだ長いので、タラコスパの素やお汁粉、餅など、余っていた日本の食材をプレゼントする。
「メディカルチェックのテント」
「登山許可証」
午後、ニド(C2)まで上がっていた日本人男性が下山してくる。今日、C3に上がる予定だったが、頭が痛く、このままでは登頂できないので下山してきたという。再度アタックする日程的余裕は無い為、このまま下山するということ。「酸素が濃い〜」と言っていた。私は日程に余裕があるのだから、たとえ上で高山病になっても、一度下がって、諦めずに再チャレンジするぞと胸に刻む。
あと気になるのは天気。毎日好天で、いつまでこれが続くのか不安。キッチンテントに天気予報が張り出されるのだが、31日くらいから標高6900m付近は「時々雪」の予報がしばらく続く。でも風はそれほど強くないよう。メディカルチェックも問題なくクリアし、明日からアタックを開始することに。ということで、明日からはα米・パスタ生活になるが、BC最後の食事は、アサード(いわゆるBBQ)だった!
12/30へ続く