西穂〜奥穂縦走(2022/3/19-21)メンバー/吉田、小林


記憶が新しいうちに記録を書こうとワードを開いたものの、筆が進まない。凍傷で痺れる指でキーボードを叩くのが痛い、ということだけが原因ではない。予定通りルートをトレースしたものの、自分としては不甲斐ない内容だった。西穂独標から奥穂、そして穂高岳山荘まで全くのノートレース。3000mの標高で、風も強い中、これでもかと続く険しいアップダウンとラッセル。3連休、ぽっかり予定が空いたので、昨年のGWに企画していた計画をそのまま持ってきた挙句、天気予報も悪いので、行ってダメなら即撤退しようくらいのテンションでは全く太刀打ち出来なかった。そんな私を引っ張ってくれたパートナーの吉田さんに感謝です。また、こんな気持ちで行った私を何とか無事で帰してくれた穂高の山々、ありがとう、そしてごめんなさい。気合入れて出直すので、次も受け入れて下さい。

【行程】
3/18(移動)19:00新大阪→名古屋→高速バスにて23:20高山
3/19 7:00高山→新穂高ロープウェイ(始発9時)→11:15西穂山荘→12:40西穂独標→15:10西穂山頂(幕営)
3/20 5:55西穂→16:30ジャンダルム→17:15ロバの耳→18:40ロバの耳下(幕営)
3/21 5:05(?)ロバの耳下→6:30奥穂山頂→8:10穂高岳山荘→9:00涸沢岳→11:00蒲田富士→14;55白出沢出合→16:50新穂高ロープウェイ

【詳細】
3/18、19時、遠路、島根から到着した吉田さんと新大阪で合流し、名古屋へ。少し早い新幹線に乗れて、高山行きの最終バスまで小一時間あるので、駅前の和民で軽く前祝&打ち合わせ。ここ一週間、微妙な天気予報が続いてた。逃げ場の無い縦走は止めて西穂だけにするか、または涸沢岳西尾根往復にする思いが強かったが、吉田さんは責める気満々。突っ込む覚悟でとにかく西穂まで上がることにする。20:45のバスで雨の高山に23:20着。バスターミナルと駅の間にトイレ、喫煙室、中庭完備の最適なビバーク地を確保し、就寝。

3/19、始発の7時高山発のバスで新穂高ロープウェイへ。涸沢岳西尾根のつもりで持ってきたワカンを駅の軒下にデポ。始発の9時のロープウェイで上に上がる。そこから1時間程、11:15に西穂山荘。同じく縦走すると思われる強そうな2人組も準備している。今日は間天のコルで幕営予定。広さが分からないので、2組張れるか少し心配(結局、この2人にはこの後二度と出会わなかったので、無駄な心配だった)。
ガスの中、まずは西穂独標へ。西穂までトレースがあることを期待したが、独標から少し先に行ったところで無くなった。つまり、これからずっとトレースは無い。


「西穂独標」


「独標からのクライムダウン」

15:10、西穂山頂。遅れ気味の吉田さんがしきりに私の調子を心配してくれる。計画上の今日の幕営地は間天のコル。夏のコースタイムでここから3時間。とてもとても無理なので、途中のどこかで幕営出来ればと思ったけど、ガスの中、先の地形と地図を見る限り、少し下ったところぐらいか。そんなら大して変わらないし、天気も良くないし、私の調子も悪いし、ちょうど2テン張れそうなので、今日はここで打ち止め。ルンルンで整地して、テントにIN!。風が強くて、テントの中も全く暖まらないが、吉田さんの家庭事情をつまみに私が持ってきた焼酎500mlを空にして就寝。あ、その前にきちんと打ち合わせ。これ以降進むと、奥穂を超えて涸沢岳西尾根まで逃げ場は無い。明後日には帰らなければならないことを考えると、明日は夏のコースタイムで7時間掛かる穂高岳山荘まで行きたいところ。8時までに間ノ岳に着かなければ、戻ることにする。


「西穂までの登り」


「今日の宿」

3/20、3時半起床。降雪と吹き飛ばされる雪でテントが大分埋まったが、朝方には止んだみたいで、月が出ている。昨日よりは風は弱い。
5:55に出発。寒くてダウンが脱げない。厳冬期の八ツでもそんなことは無いが、結局、吉田さんも私も一日中、ダウンを着たままの行動になった。さて、頂上少し先から、いきなりの懸垂。振り返って見れば、クライムダウン出来たのかもしれないが、上からはよく分からない。


 「西穂からの夜明け」


 「遠くに槍。これから逃げ場は無い。」


「いきなりの懸垂」

ここからは越えては出てくる岩峰をどう処理するかの連続。岩尾根を真っ直ぐ登れば簡単だが、その後、歩いて下れなければ懸垂することになる。その場合、50mロープ1本で下まで届くのか。それが厳しければ、岩峰の左右の急な雪面をトラバースするが、その先どうなってるかが分からない。越えられなければ、越えられるところまで下って登り返すしか無いが、トレースが無い中、全てがラッセル。3月だからもう少し雪が締まっていることを期待したが、平均膝ラッセルで体力を消耗する。







どこが間ノ岳なのか、はっきりしなかったが、おそらくリミットの8時は超えていた。でも、奥穂は見えるし、天気も少し穏やかになったので、ついつい進んでしまう。が、途中でGPSを確認すると12時近くになるのに、天狗の頭に着いていない。夏のコースタイムで3時間のところ、6時間以上掛かっている。この後、天狗の頭から奥穂まで、コースタイムで3時間半。ということは、このペースでは7時間以上掛かるので、余裕で日没する。が、目の前の吉田さんはまたもや急な斜面を下り、トラバースに掛かっている。行けば行くほど戻るのが辛くなるので、猛烈に不安になり、大声で吉田さんと相談。やる気満々の吉田さんは「まだ時間も早いし、奥穂も見えてるのに。」と言う。「見えてるけど、アップダウンがあるから実際はめちゃくちゃ遠いですけどね。ていうか、吉田さん、ヘッデンの電池切れてませんでしたっけ?」と思いつつ、「じゃあ、どうするの?」と聞かれて「引き返す」とは言ったものの、確かにここまで来て引き返すのも馬鹿馬鹿しく感じる…。吉田さんのヘッデンの電池は私のエネループを貸せるなと気付き、こうなったら、「今日のうちに奥穂まで行く」という意思の固い吉田さんに何とかして付いていくしかない。意を決して、急なトラバースに掛かる。今回の山行はいつになくビビり気味で、普通は怖くないところも怖くてしょうがない。が、行くと決めたら行くしかない。気持ちも体も付いていかないが、「私は絶対落ちない、無事で帰る」と言い聞かせながら進む。8割方、吉田さんにトップを行ってもらい、ようやくようやく16時半にジャンダルムに到着。


「ようやくジャンダルムが目前に」


「ジャンダルム名物の天使と先に奥穂。これ以降、寒さによる電池切れで写真無し。」

さすがにこの日に奥穂まで行くのは無理。先に見える平なところ(馬の背の先)まで行こうと話す。ジャンダルムからは懸垂、そこから夏道沿いに右にトラバース。ロバの耳の片耳をどう行くか。上から見た時は右に巻くつもりだったが、近付いてみると左から巻けそうなので行ってみるがダメだった。そこから上まで登り返すが、急斜面の為、胸までのラッセル。既に10時間以上行動した後の胸ラッセルはしんどすぎる。そこからピナクルで懸垂するものの、次が分からない。日が暮れるが、電池が無い吉田さんはヘッデン無し。向かって左側(飛騨側)を何とか下るが、岩壁に付いてる雪は締まって無いし、岩にもスタンスが無い。一度、足を滑らせたら、どん底まで落ちる。それはここだけの話でなく、今日一日中そんな状態だが、日が落ちてきて寒いし、早くテントに入りたくてしょうがない。先に下る吉田さんも「悪い、悪い」言ってる。吉田さんにステップを教えてもらうが、ホント無理。足が出せない。必死で雪を払うと鎖が出てきた。最後の力を振り絞って、文字通り必死で鎖を掴んで下ると、小さなコルが。風が吹き抜ける強風地帯だが、とにかく動きたくない。風に苦労しながらテントを張り、19時近くにテントに潜り込む。
温かいものを飲んだり食べたりしても、風が抜けるので全く暖まらなくて、体の震えが止まらない。それでも、外の嵐に比べれば、テントの中は天国。夕飯、水作りを終えて22時過ぎにシュラフへ。明日は16:55新穂高ロープウェイ発の最終バスに乗らねばならないので、3時起床とする。寒くて寝れないかと思ったが、疲れてたので、起床時間まで4時間ちょっとだったけど、眠ることが出来た。
3/21、いよいよ最終日。相変わらず猛烈な風だが我々には奥穂を登って下山するしか道がない。吉田さんはコンタクトレンズが全く入らなくて40分ほど悪戦苦闘していたが、最終的には諦めてメガネに(おそらく凍ったコンタクトレンズを直火で焼いたのが原因)。
今日も強風の中、テントを撤収。目の前の岩峰は、左側の雪を繋いで登る。ここさえ上がれば終わりと思ったけど、目の前のナイフリッジの先の岩をどう超えるか。右から巻くつもりだったけど、夏道は左?どちらにしても急なので、ロープを出して私トップで右を行ってみるがロープが出ない…。出る前、いかにもロープが団子だったので、吉田さんに大丈夫か確認したのに…。焦りと風でついイライラしてしまう。行ってみれば大したことない斜面なので、ロープを片し、強風に耐えながら、奥穂山頂へ。奥穂からトレースが付いていることを期待したが、全く無し。期待が裏切られていることには慣れ切っているので、風でヨレヨレしながら穂高岳山荘へ。そしてようやくトレースが!!トレースあてにしてること自体、山屋失格だが、これが無ければこの日のうちに下ることは出来ない。ようやく一安心。
涸沢岳を過ぎるとようやく風も止んだが、安全圏のはずの西尾根も長かった…。気持ちも切れるし、首も痛いし、足取りが進まない。このままでは16:55新穂高ロープウェイ発高山行きの最終バスにも間に合わないかも。途中、吉田さんが私の担当のテントを持ってくれるという。一応、互角で頑張って来た身には屈辱だが、迷惑を掛ける方がもっと迷惑。甘んじて、テントを持ってもらい、先に行ってもらって、私がバスに間に合わなければ、バス停にテントを置いてもらうことにする。こんなに足が進まないことは初めて。
途中、ひっくり返って休みながら、何とか白出沢出合を過ぎた先で、道に迷ったという吉田さんに合流。二人でバス停目指すが、地図を確認したら、このままのペースでは間に合わないかも。私は明日、何とか会社休むことが出来るので、持ってもらっていたテントを受け取り、ここでお別れ。どこの温泉宿に泊まろうかなーなんてのんびりしてたら、急にショートカットが現れて、目の前にロープウェイが下ってくるのが見えた!猛ダッシュしたらデポしてるロープウェイ駅を通り越してた。吉田さんに電話して、途中でバスを止めて乗せてもらい、何とかその日中に大阪に帰った。(デポは新穂高ロープウェイに着払いで送って頂きました。謹んで御礼申し上げます…。)

(記録/小林)